サウナと禅はどこが似ているのか

「サウナって、坐禅に少し似ている気がする。」

どうも、ふろがみです。

座って、
動かず、
ただ、そこにいる。

サウナに入っているとき、
ふろがみはときどき、
禅の話を思い出します。

宗教の話ではありません。
思想の話でもありません。

もっと、
生活の中の話です。


どちらも「何もしない時間」から始まる

禅も、サウナも、
やることはとても少ない。

考えない。
動かない。
評価しない。

ただ、呼吸して、
ただ、そこにいる。

現代の生活は、
常に“何かをする”ことで埋まっています。

だからこそ、
何もしない時間は、
とても不自然で、とても貴重です。

サウナと禅は、
その“何もしなさ”を許してくれる場所です。


どちらも「今」に戻るための装置

禅では、
過去でも未来でもなく、
今に意識を戻すと言われます。

サウナも、
同じです。

熱い。
冷たい。
呼吸。

身体の感覚は、
否応なく「今」に引き戻してきます。

スマホの中の世界ではなく、
頭の中の予定でもなく、
ただ、今ここにいる自分。

サウナは、
身体を使った坐禅なのかもしれません。


正解を求めないところが似ている

禅には、
「うまくやる」という概念がありません。

サウナも、
本当は同じです。

何分入るか。
何セットするか。
どれだけととのうか。

そういう数字は、
あとから人が付けたもの。

本来は、
ただ、入って、出るだけ。

禅も、サウナも、
正解を持たない世界です。


苦しさの向こうに、静けさがある

坐禅は、最初はつらいと言われます。
足はしびれ、
姿勢は苦しく、
心は落ち着かない。

サウナも、
最初は同じです。

熱くて、
逃げたくて、
落ち着かない。

でも、
少しだけ耐えた先に、
静かな場所が現れます。

それは、
頑張ったご褒美ではなく、
力を抜いた結果の静けさです。


どちらも「ととのおう」としない

禅は、
悟ろうとして座るものではありません。

サウナも、
ととのおうとして入るものではありません。

結果は、
あとから勝手についてくる。

それが、
禅とサウナの一番似ているところかもしれません。


サウナは、現代の禅の入口かもしれない

ふろがみは思います。

禅寺に行くのは、少しハードルが高い。
でも、サウナなら行ける。

難しい言葉はいらない。
作法もいらない。
宗教もいらない。

ただ、
静かに、
自分に戻る。

サウナは、
現代人にとって一番身近な禅の入口なのかもしれません。


トトノイバショとして伝えたいこと

サウナと禅は、
似ているからこそ、
どちらもやさしい。

頑張らなくていい。
答えを出さなくていい。
評価しなくていい。

ただ、
今に戻ればいい。

それだけで、
人は少しととのう。


今日のサウナは、
坐禅じゃなくていい。
でも、ちょっと似ていてもいい。

「今日のサウナ、頭が静かだった。」

そんな日があっても、
悪くない。

──ふろがみ

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Author

お風呂とサウナで心を整える39歳
銭湯とサ活の日々を「ふろがみ」として発信中。
ロウリュに愛されたい。

サウナスパ健康アドバイザー/熱波師検定B

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