サウナは宗教ではなく“生活習慣”だった

「サウナって、いつから“信仰”みたいになったんだろう。」

どうも、ふろがみです。

最近のサウナ界隈を見ていると、
ととのい方にも、入り方にも、
どこか“正解”があるような空気を感じることがあります。

ロウリュはこう。
水風呂は何秒。
外気浴はこの姿勢。

もちろん、それぞれに理由はあります。
でも、ふろがみは、ときどき思うのです。

サウナって、
そんなに信じ込むものだったっけ、と。


サウナは、もともと信仰ではなかった

サウナの起源であるフィンランドでも、
サウナは宗教ではありません。

祈る場所でも、
修行する場所でもなく、
ただの生活空間。

身体を洗い、
温め、
休む。

それだけの、
とても実用的な場所でした。

サウナは、
神に近づくための場所ではなく、
人に戻るための場所だったのです。


日本でサウナが“特別”になった理由

日本では、サウナは長く「おまけ」の存在でした。

銭湯の片隅。
温泉の端。
あれば入る、くらいの位置づけ。

でも、ブームとともに、
サウナは主役になりました。

ととのう。
ととのわない。
ととのい方。

言葉が生まれ、
型が生まれ、
評価が生まれました。

その結果、
サウナは少しだけ“宗教っぽく”なってしまった。


生活習慣に戻したとき、サウナはやさしくなる

ふろがみは思います。

サウナは、
信じるものではなく、
使うもの。

歯を磨くように。
湯に浸かるように。
疲れたら、入る。

それだけでいい。

今日はととのわなくてもいい。
汗をかけなくてもいい。
水風呂に入れなくてもいい。

サウナは、
成果を求める場所ではなく、
戻る場所であってほしい。


フィンランドでは、誰も“ととのおう”としていない

フィンランドのサウナには、
「ととのう」という言葉はありません。

でも、
ととのっている人たちは、たくさんいます。

頑張らないから、
ととのう。

意識しないから、
ととのう。

それは、
宗教ではなく、
生活だからです。


サウナを“習慣”として使うということ

サウナを生活習慣にすると、
世界は少しだけやさしくなります。

調子が悪い日は、短く。
元気な日は、ゆっくり。
何も考えたくない日は、ぼーっと。

ととのうかどうかは、
あとからついてくるもの。

先にあるのは、
ただ、休むという行為です。


トトノイバショとして伝えたいこと

サウナは、
信じなくていい。

崇めなくていい。

ただ、
使えばいい。

身体が重い日に。
心がうるさい日に。
少しだけ静かになりたい日に。

サウナは、
宗教ではなく、
生活習慣だった。

その距離感こそが、
一番長く付き合えるサウナのかたちだと思っています。


今日のサウナは、
ととのってもいい。
ととのわなくてもいい。

「今日のサウナ、ただあたたかかった。」

そんな日があっても、
悪くない。

──ふろがみ

  • URLをコピーしました!

Author

お風呂とサウナで心を整える39歳
銭湯とサ活の日々を「ふろがみ」として発信中。
ロウリュに愛されたい。

サウナスパ健康アドバイザー/熱波師検定B

コメント

コメントする

目次