サウナが「修行」から「娯楽」に変わった瞬間

「サウナって、昔はもっと苦しい場所だった気がする。」

どうも、ふろがみです。

今のサウナは、気持ちいい。
あたたかくて、静かで、ととのえる。

でも、少し前までのサウナは、
どこか“耐える場所”だったように思います。

熱さに我慢して、
水の冷たさに耐えて、
外気でやっと息ができる。

あれは、どちらかというと、
娯楽よりも修行に近かった。

では、サウナはいつから、
「修行」ではなく「娯楽」になったのでしょうか。


サウナは“気持ちよくなる場所”ではなかった

ひと昔前のサウナは、

・熱ければ熱いほど正義
・長く入れるほどすごい
・水風呂は根性

そんな空気がありました。

気持ちいいかどうかより、
耐えられるかどうか。

ととのうより、
勝ち負けの世界。

サウナは、
自分と戦う場所だったのです。


変化は、とても静かに始まった

転機は、派手な革命ではありませんでした。

外気浴の椅子が増えたこと。
照明が暗くなったこと。
音楽が消えたこと。
静かに過ごせる空間が生まれたこと。

サウナは少しずつ、
「頑張る場所」から
「休んでいい場所」へと変わっていきました。

この頃から、
人はサウナで勝とうとしなくなり、
戻ろうとするようになった気がします。


「ととのう」という言葉が生まれた瞬間

ととのうという言葉は、
サウナを娯楽に変えた一番大きな存在かもしれません。

ととのう、という言葉は、
成功でも、達成でもありません。

状態です。
感覚です。
ただ、そうなった、という話。

この言葉が生まれたことで、
サウナは評価の場から、
感覚の場になりました。


サウナは“頑張らなくていい娯楽”になった

娯楽というと、
楽しいこと、刺激的なこと、
盛り上がることを想像します。

でも、サウナの娯楽性は、少し違います。

静かで、
地味で、
誰にも見せない。

それでも、
ちゃんと楽しい。

サウナは、
“頑張らなくていい娯楽”になったのです。


修行をやめたとき、サウナはやさしくなった

サウナを修行として扱うと、
自分を追い込んでしまいます。

でも、娯楽として扱うと、
自分を許せる。

今日は短くてもいい。
今日は水風呂に入らなくてもいい。
今日はととのわなくてもいい。

そう思えた瞬間、
サウナは、ちゃんと気持ちよくなります。


トトノイバショとして伝えたいこと

サウナが娯楽になったのは、
軽くなったからではありません。

やさしくなったからです。

修行をやめたとき、
人はサウナと、
ちゃんと仲良くなれた。

サウナは、
乗り越える場所ではなく、
戻る場所になりました。


今日のサウナは、
修行じゃなくていい。
娯楽でいい。

「今日のサウナ、なにも頑張らなかった。」

そんな日があっても、
悪くない。

──ふろがみ

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Author

お風呂とサウナで心を整える39歳
銭湯とサ活の日々を「ふろがみ」として発信中。
ロウリュに愛されたい。

サウナスパ健康アドバイザー/熱波師検定B

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