「静かな国なのに、ずいぶん熱い箱が好きだな、と思う。」
どうも、ふろがみです。
日本人は、
静けさを大切にする民族です。
無言の時間。
間。
余白。
沈黙。
そんな文化を持ちながら、
なぜか日本人は、
わざわざ熱い箱に入ります。
汗をかき、
息を荒くし、
我慢してまで、
箱の中に座る。
静けさを愛する国が、
なぜ、あんなに騒がしい環境に身を置くのでしょうか。
静けさを求めて、熱さに入っている
ふろがみは思います。
日本人は、
熱さが好きなのではなく、
その先の静けさが好きなのだと。
サウナの中は、
確かに熱い。
でも、その熱さは、
思考を止めてくれます。
暑い。
苦しい。
息を整える。
その瞬間、
頭の中は、とても静かになります。
日本人は、
静けさを得るために、
あえて熱さに入っているのかもしれません。
日本人は「無音」を愛してきた
日本文化には、
無音を尊ぶ場面がたくさんあります。
茶室。
神社。
能楽。
雪の庭。
どれも、
音がないことに価値があります。
サウナも、
その延長線にあります。
テレビもなく、
会話もなく、
ただ、熱と呼吸だけがある空間。
あの箱は、
現代版の無音室なのかもしれません。
熱さは、思考を外に追い出す
静かにしようとしても、
頭の中はうるさい。
仕事のこと。
予定のこと。
過去のこと。
未来のこと。
でも、
熱さはそれを追い出してくれます。
考えていられない。
考え続けられない。
だから、
人は自然と、
今に戻ります。
日本人は、
熱さという装置を使って、
静けさを取り戻してきたのかもしれません。
静けさは、逃げるものではなく、戻るもの
日本人にとって、
静けさは避けるものではありません。
むしろ、
戻る場所です。
サウナは、
静けさに戻るための、
少し強引な入り口。
だから、
あんなに熱くて、
あんなに小さな箱なのだと思います。
ととのうという感覚は、静けさの名前だった
ととのう、という言葉は、
派手な言葉ではありません。
叫びません。
誇りません。
主張しません。
ただ、
「今、ちょうどいい。」
それだけの言葉。
静けさを愛する民族が、
自分の状態を表現するために選んだ、
とても日本らしい言葉です。
トトノイバショとして伝えたいこと
日本人がサウナに入る理由は、
健康でも、流行でも、根性でもなく、
きっと、静けさです。
熱い箱の中で、
思考を脱いで、
肩書きを脱いで、
評価を脱いで、
静けさに戻る。
それが、
日本人とサウナの関係なのかもしれません。
今日のサウナは、
静かじゃなくていい。
でも、静けさに戻れればいい。
「今日のサウナ、頭の中が無音だった。」
そんな日があっても、
悪くない。
──ふろがみ


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