前回の記事では、銭湯が日本最古のコミュニティ空間であったことを書いた。
人と人が自然に交わり、生活の一部として存在していた場所。
では、現代においてサウナは何になったのか。
結論から言えば、サウナは現代人の「逃げ場」になったのである。
逃げ場は、弱さではない
「逃げる」という言葉には、いまだに弱さのニュアンスが残る。
しかし、逃げ場を持たない方がよほど危険である。
現代人は、常に何かを背負っている。
仕事、評価、役割、期待、比較。
どこにいても、誰かの視線と基準の中で生きている。
サウナに入ると、それらが一度すべて外れる。
誰にも期待されない時間。
誰にも評価されない時間。
何者でもなくていい時間。
サウナ室では、肩書きも役割も意味を持たない。
ただ暑い箱の中にいる人になるだけである。
サウナは、考えなくていい場所である
現代人は考え続けている。
正解を探し、空気を読み、選択を迫られる。
しかしサウナでは、考えることができない。
暑いか、苦しいか、出たいか。
判断基準はそれだけである。
思考が止まり、身体だけが残る。
この状態こそ、現代人が最も渇望している時間なのかもしれない。
ととのうとは、戻ることである
ととのうとは、何か特別な状態になることではない。
本来の自分に戻ることに近い。
社会の中で無理に作っていた自分を、いったん外す。
役割のない状態に戻る。
だからサウナは、修行でも娯楽でもなく、
避難所に近い存在なのである。
逃げ場があるから、人は前に進める
人は、ずっと頑張り続けることはできない。
逃げ場があるから、戻ってこられる。
逃げ場があるから、また歩ける。
サウナは、その役割を静かに担っている。
誰にも宣言せず、誰にも説明せず、
ただ一人で戻れる場所。
だから今日も、また入る
サウナは、答えをくれる場所ではない。
しかし、答えを探す元気を取り戻させてくれる場所である。
現代人にとってサウナは、
逃げるための場所であり、戻るための場所なのだ。
だから今日も、またサウナに入る。
何かを得るためではなく、
ちゃんと戻るために。


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