海外のサウナ文化に触れると、日本で使われる「ととのう」という言葉が、少し違って見えてくる。

「ととのうって、海外ではどういう顔をしているんだろう。」

どうも、ふろがみです。

日本ではすっかりおなじみになった“ととのい”という言葉。
サウナに入って、水風呂に入って、外気浴をして、ふわっと来たら「ととのった」。

でも、海外のサウナの話を聞くたびに、
ふろがみは、少しだけ首をかしげてしまいます。

あれ、ととのいって、
そんなに頑張って作るものだったっけ、と。


フィンランドのサウナは、日常だった

フィンランドでは、サウナは特別なイベントではありません。
ご褒美でも、修行でもなく、ただの生活

家族で入り、友人で入り、ときには一人で入り、
話すこともあれば、何も話さないこともある。

でも、そこに共通しているのは、
「急がない空気」です。

ととのうとは、何かを足すことではなく、
余計なものが自然と落ちていくこと。

フィンランドのサウナは、
そう教えてくれている気がしました。


ドイツのサウナは、静かな尊重だった

ドイツのサウナには、細かなルールがあります。
静かに過ごすこと。
タオルを敷くこと。
空間を共有する意識を持つこと。

一見すると窮屈そうですが、
実際はとても心地いい。

誰かの自由を守るために、
自分が少し静かでいる。

その姿勢そのものが、
もう整っているように見えました。


日本の整いは、少しだけ真面目

日本のサウナ文化は、とても丁寧です。
入り方も、順番も、型も、美しい。

でも、ときどき思うのです。

ととのわなきゃ。
ととのえなきゃ。

そんなふうに、
ととのいが“目標”になってしまっていないか、と。

海外のサウナには、
ととのおうという言葉はありません。

でも、ととのっている人は、たくさんいます。


ととのいは、結果であって、目的じゃない

海外のサウナ文化から感じる哲学は、とても静かです。

頑張らなくていい。
比べなくていい。
評価しなくていい。

ただ、そこにいていい。

ととのいとは、達成ではなく、
許可なのかもしれません。

「このままでいいよ」と、
自分に言ってあげる時間。

それが、ととのいの正体なのかもしれません。


トトノイバショとして伝えたい整い

トトノイバショが伝えたい整いは、
完璧なコンディションではありません。

少し呼吸が深くなった。
少し肩の力が抜けた。
少し、どうでもいいことを手放せた。

それだけで、十分だと思っています。

海外のサウナ文化は、
その感覚を、そっと肯定してくれます。


今日の整いは、誰かと比べなくていい。
昨日の自分より、少し軽ければいい。

「今日のサウナ、心が少しだけほどけた。」

そんな日があっても、
悪くない。

──ふろがみ

  • URLをコピーしました!

Author

お風呂とサウナで心を整える39歳
銭湯とサ活の日々を「ふろがみ」として発信中。
ロウリュに愛されたい。

サウナスパ健康アドバイザー/熱波師検定B

コメント

コメントする

目次